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スポーツによる痛み・早期回復・パフォーマンスアップはスポーツコンディショニング ベスタ|理学療法士による整体サロン

プロフィール

代表 鮫島 亮太(さめしま りょうた)

始めまして!北海道生まれ広島育ちの鮫島です。

私のホームページに興味を持っていただいてありがとうございます。

このページでは

・私とスポーツについて

・経歴と資格

・私の思い

を書いています。

まずは、私のスポーツ歴を長々と書いていきますので、是非お付き合いください。

私は、小さいころから体を動かすことが好きで、小学3年生の時に広島のクラブチームでサッカーを始めました。大きいクラブで、サッカーコート1面ある専用グランドで練習できて感動したのを覚えています。

その頃は、サッカーが好きで週3回の練習以外に朝は、7:30から学校に行きシュート練習、夜はボールが見えなくなるまで学校のグランドでサッカーをしていました。

おかげで、5-6年生の時には、当時スクール数百人いた中で、Aチームに入れることが出来ました。

中学も1年クラブにいましたが、次の年に練習施設がなくなるという話で泣く泣く中学校のクラブに入りました。弱小で区大会も突破したことがなかったチームでした。しかし、3年生になるころには中国大会まで進むことが出来るチームになり嬉しかった記憶があります。

しかし、個人的には、サッカーに対する思いは徐々に低下していきました。

今思うと後悔もありますが、年齢的にも色々なことに興味がわき色々遊びたくなり、徐々に練習時間も少なくなり、フィジカル面、技術面も伸び悩みだしました。そしてついには、パスミスが多くなりモチベーションも下がり、さらにプレーの質が悪くなりと負のスパイラルに陥って、サッカーが嫌いになっていました。

そして、中学を卒業しサッカーをやめると決めました。

そして、バイトして遊んで楽しい学生生活をと思っていましたが…

いざ高校に入り、始めて部活の勧誘という強引な誘いに戸惑いながらもうまく断っていました。

ある時体育館の掃除をしていたところ、体育館にあった体育教官室からでてきたアイパーの怖い先生に「お前、なにか入るか決めとんか?ええ目しとるの」と言われ、私はビビりながらも「いや、何もしません」と答えると「ふーん。」とだけ言って去っていきます。

そこに次の先生が表れて「お前今○○先生が言った意味わかるんか?あの先生が声かけるんは何か見込みがあるから声かけるんで。暇なんなら1回グランド行ってみ。」と今思えば先生たちの作戦に引っかかったような形で体験に行きました。ラグビー部でした(笑)

ラグビーなんて見たことないし、勧誘に来る人は相撲取りみたいな巨漢ばかり。当時私は、身長160数センチ、体重50キロちょっとの小さい体でしたので不安は半端なかったです。

いざ練習が始まり、パスやルール、動き方を教えてもらうとすごく新鮮で楽しかったのを覚えています。

そして極めつけはボールをもってタックルに来る人とぶつかる練習。

凄くストレス発散できるなめちゃくちゃ気持ちいいと最高に楽しくなり、

「ラグビー部入ります!」と即返事しました。

毎日練習が始まり、迎えた6月。練習中に横から当たられた際、足首の上に乗られた上にさらに体にも乗られボキッという音とともに足首を骨折!!

入って2カ月目にして1年目終了。2回の手術とともにリハビリが開始される。しかし高校生。片脚動かせなくても元気なんです。そして入院中トレーニングをさぼることに…そして後悔!

始めてそこで、ケガをしていない部分のトレーニングが如何に大事か身をもって知る。さらには、痛くないような歩き方を勝手にしていたため、歩き方だけではなく走り方も変わってしまい。中学時代は早い方だった足も遅くなりました。

今思うと何でその時のリハビリの先生は、ちゃんと後の事を説明してリハビリの重要性を教えてくれなかったのかと思います。

高校生だからそれくらい分かるかと思っていたかもしれないですが、当時のほほんと過ごしていた私にはさっぱりわかりませんでした。

そして年が明けた2月頃から練習再開します。そして大したけがもなく年末になります。ラグビーは全国大会が正月にかかりますから11月が最後の大会になります。3年生が少ないことから、レギュラーの半分以上が私たち2年生で構成されるチームで弱小と思われていました。

しかし、まとまりの良いチームで、全国大会予選準決勝まで行きました。

本当にチームがまとまった時はこんな感じなんだなということが、初めて実感できました。プレー中チームメイトの役割・意思疎通・ポジショニングなど自然と冷静に頭の中で処理出来て、先輩たちが上手く私たちを引っ張りコントロールしてくれて、あれほど心地よくプレーできたのはあの年が1番でした。

そして私たちが3年生になりチームを引っ張っていく立場になりました。

ある時、足首を捻挫しました。しかも公式戦の数日前に。足首はパンパンに腫れて、足を地面につけることもできません。

そこで、急遽その日に先生連れて行ってもらったのが、有名な鍼の先生のところでした。すがるような気持ちで鍼を打ってもらいました。

すると、腫れも半分程度に減り、何とか歩けるまでになりました。

「なんじゃこりゃ。ずげー」とほんとに思いました。

それから試合前日まで毎日通い。テーピングでガチガチになりながらも試合が出来ました。

この経験で初めて、トレーナーや治療家という道に興味を持ち始めました。

この年は期待されながらも全国予選1回戦敗退となり高校3年間は終了しました。

その後は、下にある経歴の通りです。

社会人になってからは、草野球やフットサル、ランニングをしていましたが、ふと武道というものに興味を抱き合氣道を始めました。

3年稽古を積み今では、初段になりました。

これで私の運動歴は一旦終了です。また新しい事を始めたら更新していきます!

経歴
H16:ヒューマンアカデミー大阪校スポーツトレーナー学科卒業
H22:大阪医療福祉専門学校大阪卒業
H22−28:神戸徳洲会病院(理学療法士として在籍)
H26−29 淀川市民マラソン救護ボランティア(TeamGTJ)
H28 福山マラソン:グラストンテクニック施術スタッフ
H29:Sports Conditioning BESTA 代表

資格
理学療法士(平成22年~)
グラストンテクニック認定クリニシャン
ゴルフフィジオトレーナー
ファンクショナルローラーピラティス ミドルインストラクター

代表の思い

《最高のパフォーマンスが発揮できるようお手伝いします》

スポーツをしていると必ず目標があると思います。

私自身その目標を達成するために努力しましたが、自分ではどうしようもできなかったのが、ケガです。

予防をすることでケガを減らすことはできますが、無くすことはできません。

そこでケガをした時にどう対処するかで、復帰までの道のりや、復帰してからのパフォーマンスに影響を及ぼします。

私は、高校生の時3年間のうち約1年練習が出来ていませんでした。学生にとっては致命傷です。この1年練習で来ていたらチームにとってどれだけ貢献できたかと思うと後悔です。

個人種目の場合は、さらに絶望的な状態ではないでしょうか?

私は、この学生時代の経験から、スポーツをしている人にはケガをして後悔してほしくないように思っています。

ケガをしても早くケガを治せるようにしてくれる所、早く復帰できるようにトレーニングしてくれる所・教えてくれる所があればいいと思っていました。

病院や整骨院はそれぞれいいところがあるが、制度上の観点からそれぞれ弱点もあります。

私は、そういう制度的なものを取っ払って純粋に回復に向けてお手伝いする場所を提供したいと思いBESTAを立ち上げました。

もちろん私も完ぺきではありませんが

Sports conditioning BESTA に来てよかったと喜んでいただけるよう一生懸命お手伝いさせていただきたいと思います。

鮫島 亮太